リオ大会では9種目だった“混合種目”が倍増、女性選手の比率が歴代最高の48.8%となるなど、大会の基本コンセプトの一つでもある「ジェンダー平等」の観点からはエポックメイキングな大会となった東京オリンピック。
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「日本スポーツとジェンダー学会」会長で、大会組織委員会の理事も務める中京大学の來田享子教授は「組織委員会の森喜朗前会長の発言を機に女性理事が12人入るということになったが、やっぱり“数合わせ”、あるいは“とにかく女性を入れておけばいいんだ”ということでは意味がない。内実をきちんと作っていかなければならないし、その意味では東京大会はスタートだというのが率直な感想だ」とコメント。
また、大会組織委員会のジェンダーアドバイザーも務めるオリンピアンの井本直歩子氏も「競技においてもジェンダー平等に近づいていているとは思うが、指導者の数や団体の理事の数、そして給与の面などから見れば、やはりまだスタートラインに立ったというところだ」と話す。
井本氏は大会期間中の26日、IOCが開いた「表象ガイドライン」の会見で「日本のメディアを見ていると、見た目に注目した“美しすぎる”だとか、綺麗だとかセクシーだとかいうコメントとか、スポーツに関係のない報道ばかりする」と、いわゆる“ルッキズム”の報道について指摘している。
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「私はずっと海外で仕事をしてきたが、日本のスポーツの報道はかなり浅いものになっていて、“芸能化”している部分もあると思う。男性であればバイアス無くアスリートの素晴らしさが伝わってくるのに、女性になると“セクシャライズ”というか、私生活や容姿に関して述べること、質問することが全く悪いことではないと認識されているのではないかと感じている。
スポーツというのは、女性のありのままの力強さやたくましさ、すばらしさが見られる数少ないチャンスだ。それを見てもらうことによって、いつもの“女らしさ”とは違う女性のステレオタイプ、ロールモデルの多様化になり得るのに、かわいらしくないといけないというような偏見を再生産するような報道になっている。これはスポーツ報道に限らないことで、日本社会や日本のメディアの問題と密接に繋がっていると思うが、それでは日本はジェンダー平等になかなか近づいていけないと思う」。
その上で、「表象ガイドライン」を踏まえ「もちろん人気や視聴率、購買率もものすごく大事だとは思うし、全ての報道が悪いと言っているわけではない。表現の自由や報道の自由は守られるべきだと思う。完全に規制するということはできない。しかし日本社会のためには、どのように報じられなければいけないかというのを誰かが正していかなくてはいけない」と訴えた。
來田氏は「私は3つの働きかけが必要だと思っている。1つは、報じ手であるメディア関係者だ。井本さんがおっしゃったようなIOCが出したガイドラインのようなものを参考にして、スポーツや社会を豊かにするために報じているんだという、本来のジャーナリズムの使命を考えながら報道していっていただくこと。2つ目はスポーツ組織だ。ユニフォームなどにルッキズムを拡大するような要素がないかどうかを見直していただく必要があると思う。それから3つ目が選手自身だ。ルッキズム報道の中でも、特にジェンダー平等に関する偏見を助長するような報道に対してものが言えるよう教育をすることが大事だなと思う。
井本さんもおっしゃったように、私も人気が出ること、マーケットの中に乗っていくことは大事だと思う。ただ、ルッキズムに乗っかってしまうことで自身のアスリートとしての価値を狭めてしまったり、落としてしまったりするのではなくて、本来の価値や努力が伝わる報道を選手自身も考えてくれるよう、スポーツ界も含めてやっていくことが必要だ」と指摘した。
IOCのスポーツと活動的社会委員会委員を務めるオリンピアンの有森裕子氏も「“ママさんランナー”とか、別に付ける必要ある?というようなことを当たり前に付けてしまったりすることがあると思う。演技がかっこいい、美しいというのはわかるけど、本人が美しいからよかったよね、という表現しかできない乏しさがまだまだあるなと感じている。それに対して、海外では競技、プレーに対してどうであるかということは言うので、目の向け方が基本的に違うんだと思う。一方で、それが行き過ぎた結果、逆に興味を持たれなくなってしまうのも問題かなと思う」と話していた。(ABEMA/『ABEMA Prime』より)