五輪で日本の政治レベルが露呈 – 町村泰貴

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2021年8月9日の道新朝刊を読んだ。

2面の中島岳志先生のコラムが心に残った

まあ要するに五輪については日本が貧乏籤を引いたんだよなというところ。

IOCは何とか最後まで日本にやらせることができて万々歳、世界のスポーツマフィアも同じだろう。

菅義偉首相と小池百合子都知事の功労賞が象徴している。

世界陸上をご褒美に日本で開催してやるというコー氏の発言も、日本に報いてやりたいという感謝を感じるが、裏を返せば日本人が自分を犠牲にして五輪のために尽くしたかがよく分かる。たとえ日本の五輪推進の人たちが五輪のためというより一部企業の利権と結託した政治家の自己利益のためにやったのだとしても、iOCとしては望むところなのかもしれない。

五輪憲章のご立派なお題目が聞いて呆れる。

それによって日本人が得たものは、地の利を活かした過去最多のメダル数、それに伴う愛国ポルノ的な満足、文字通り鼻薬をかがされたというわけだ。

対して犠牲にしたものは多すぎるくらいだ。

コロナ感染爆発に伴う市民の命と健康、そして医療崩壊、飲食店を中心とする一部産業とそこに従事する人たちの生活破壊だ。

菅首相も小池都知事も五輪のせいで感染が拡大したのではないと言い張っているが、直接来日者が病気を持ち込んだわけではないというだけで、大規模イベントを2週間以上やり続けた人の移動や公道でのイベントの人集め効果、地方ではPVもやってたし、大声での声援もまかり通っていた。

札幌での公道を使った競歩とマラソンは、そりゃ普段の北海道マラソンの応援よりは少ないとしても、むしろ確信的に選手を応援したいという人々により、声援も拍手も送られていた。声援はチームスタッフで観客からはむしろ拍手が目立ったように思うが、いずれにせよ、沿道での観戦自粛は有名無実であり、関西弁の会話も目立ったので、全国から人が集まったのであろう。

何よりもマスコミは五輪報道中心で、感染爆発の現状を深く掘り下げて警告を発する役割を放棄していた。災害の恐れがあるときのNHKは繰り返し繰り返し警告を発し、命を守る行動をと叫ぶ。それに引き換え過去最多を連日更新して中等症でも病院に入れるとは思うなと総理大臣が言うような自体になっても、スポーツイベントの間はコロナの警戒を呼びかけることは一切なかった。呆れたのは、五輪中継の合間に5分だけニュースを放映したときのコンテンツが、日本選手の五輪メダル獲得で占められていたときで、新型コロナの問題はなくなったかのようであった。

こんなテレビの状況に、人々が警戒感を覚えず、スポーツバーとかPVとかに繰り出したり、友人と集団で観戦したりしても不思議はない。これが五輪のせいでなくて何だというのだろうか。

加えて、巨額の開催費用のツケ、スポーツや五輪に対するネガティブな感情など、失ったものは根深く大きい。

アスリートにとっても、一年延期や感染予防の影響で、万全の環境ではなかったし、屋外競技には酷暑が襲い掛かった。台風もあった。

しかし少なくとも酷暑についてはこの時期に開催することを決めた責任者全員の故意によるものだ。スポーツビジネスの都合で無理を押し付けられだ競技者は気の毒だが、これがスポーツ存続のためだというなら、仕方がないのかもしれない。そもそも日本で五輪をやってはいけなかったのだ。

その他の数多ある醜聞、女性やマイノリティの差別構造、パワハラ、セクハラ、パソナとか電通とか五輪に群がって儲けていると噂の企業たち、贈賄、嘘つき招致、パクリ、政治案件だけ残る開会式、五輪組織委員会から官房長官や五輪担当大臣の見えすいた言い訳、隠蔽、バレたら強弁、不都合な真実から目を背けてそもそも記録を残さないなど、今の日本の政治と道徳のレベルが噴出したのが東京2020だ。

新型コロナの蔓延と不誠実を国内外に知らしめたのが東京2020のレガシーというわけだ。

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