テレビ局意向で夏開催される五輪 – 舛添要一

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 コロナ禍で強行開催されている五輪、「ぼったくり男爵」と批判されたバッハIOC会長、五輪やIOCはこのままでは駄目だという認識が日本国民にも広く共有されつつある。

 私は3つの改革を提案する。

 第一は、酷暑の夏には五輪を開催しないことだ。

 真夏に五輪を開催するのは、放映権料を支払うテレビ局の都合である。NBCは10回の放映で1兆3千億円を支払うことをIOCと契約しており、このカネが運営費の大部分を賄うために、局の意向に沿わざるをえないのである。

 テレビ局は、視聴率がとれる花形スポーツが夏休みのときに、穴埋めのために五輪を放映するのである。オリンピックなら視聴率はとれるし、その分CM収入も増えるので採算が合う。

 すべては、テレビ放映を中心に回っている。

 テレビ放映権の問題で、どうしても夏の開催が動かせないのなら、夏でも涼しい都市(日本では北海道のみ)で開催すべきであり、平均気温30℃以下、湿度50%以下といった基準を設けて、開催都市への立候補要件とすべきである。そうすると、北半球では亜寒帯より寒冷な地域に限定される。南半球では、夏と冬が逆なので多くの都市が候補となりうる。

 第二は、IOCと主催都市の力関係である。五輪の主催者は国ではなく、都市である。つまり、東京都であり、日本国ではない。組織委員会は大会の運営を行うために、東京都とJOCが作った組織である。

 組織委が財政的に運営が困難になったときには、まずは東京都が補填し、それでも不可能な場合、日本国がカバーするという約束がIOCとの間で交わされている。

 IOCは一切負担しないという恵まれた立場にある。IOCと主催都市の関係は、平等な関係にはほど遠く、主従関係と言っても過言ではないくらいに、IOC優位になっている。それは、五輪開催地に立候補する都市が多く、いわば買い手市場で、いくらでも価値を釣り上げることができたからである。

 しかし、そのような態度をとれる時代は終わりになりつつある。巨額の経費のかかる五輪誘致に手を挙げる都市が激減している。市当局が立候補を表明しても、住民投票で葬り去られる。

 このような傾向は今後とも続くと考えられており、IOCも危機感をい抱いている。

 第三は、パンデミックのときに五輪をどうするかという問題である。戦争の時には、1916年のベルリン大会が中止、1940年の東京大会は返上、ヘルシンキ大会は中止、1944年のロンドン大会は中止、冬季五輪は、1940年の札幌が返上、サン・モリッツは返上、ガルミッシュ・パルテンキルヘンが中止、1944年のコルチナ・ダンペッツォが中止になっている。

 それでは、今回のようなパンデミックのときにはどうするのか。

 パンデミックのために開催できなかった都市は4年後に開催し、それ以降の大会も順送りに先の日程にするのである。今回だと、2024年東京、2028年パリ、2032年ロサンゼルスとするのである。

 このルールを決めれば、今回のように、直前になって調整したり、選手がコロナ感染で棄権したりするというような混乱は生じないであろう。五輪やIOC 大改革が必要である。

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