なぜ電気自動車の時代なのか? – ヒロ

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景気が悪くなると戦争をする、という言い伝えがあります。大恐慌と第二次世界大戦の関係といった例があるわけですが、それなりに意味するところは深い気がします。兵器産業を突破口に気持ちを切り替える、世の中の沈滞したムードを変えるといったさもありなんと思われる理由がつけられています。リーマンショックの際にも「近々戦争があるのではないか?」とささやかれていました。

世の中、電気自動車(EV)へ舵を切るのか、切らないのか、このブログでは何度もこの話題を取り上げてきたのですが、議論百出、そしてネガティブなコメントが多いのもご承知のとおりです。

今週号の日経ビジネスが特集で「EV覇権、欧州の野望」を相当の紙面ページを割いて報じています。拝読した限り、今までにない力の入れ方と強い信念を感じました。そしてその特集では日本の自動車メーカーがサイドラインに追いやられ、欧州勢がテスラを標的に決死の戦いを挑んでいる様子を記事にしています。

記事ではEVが脱炭素化や経済性で必ずしも内燃燃料と勝負できるものではない、ということも記載しています。それでも例えばVWのヘルベルト ディース社長がインタビューで「(EV時代が来なかった場合の)プランBはあるのか?」に対して「ない」と断言しています。背水の陣です。しかし、そんな会社はVWだけではなく、ボルボはもっと強烈だし、メルセデスやVW傘下のアウディ、ポルシェも同じでしょう。

最近、バンクーバーでポルシェの電気自動車「タイカン」をかなり見かけるようになりました。テスラではなくてタイカンというのはテスラが高級セダンのモデルSでトップラインの人達への刺激を通じてマーケテイングしたようにスポーツカーという分野においてあのポルシェだからこそできたマーケティング上の説得力といった感じです。

日本でEVに対するネガティブな意見を上げればきりがありません。そんな時代にさせない、という意気込みすら感じるのですが、海外ではまさに「不景気の時の戦争論」に近い、「既存ビジネスのちゃぶ台返し」を推し進め、世界の常識をまるで刷新させるのだと思います。覇権なのです。自動車業界は欧米がリードするという強いステートメントを感じるのです。それは単に技術だけではなく、政治や社会すら味方につけて動かしているともいえるのです。

では脱炭素やコストの件はどうなのでしょうか?以前、私がこのブログでアマゾン社やグーグル社は7割完成したところで走り始め、残りの3割は市場との対話を通じてファインチューニングすると申し上げました。日本の会社は99.9%の完成度を待って市場に投入するのでタイミング的にどうしても後塵を拝することになる、これは自明なのです。

トヨタの豊田社長がEV化への疑問を呈しています。ただ、あれはトヨタの考えというより日本自工会の会長としての立場であり、個人的には豊田氏の真意を測りかねています。豊田氏は内燃燃料からEV化になることで部品の数が減るので関連業界の雇用にも大きな影響が生じるとしています。自工会の立場としてはそういうでしょう。では、VWはどうかと言えば従業員の再教育を通じてEV化になっても雇用を守れるような対策を既に取っていると日経ビジネスは報じています。

私は昨今の脱炭素化やSDG’sのブームは行き過ぎだと思っています。ただ、自動車業界のEV化は各地の行政まで巻き込み、この10数年間、着実にその土壌を築き上げてきたことも事実です。つまり、日本がハッと思った時には欧米では関連事業やインフラも含め、追い付かないところまで進んでいることになるのでしょう。例えば車体のプラットフォームも日本はまだEV専用はないのです。ところが欧州どころか、韓国メーカーでも専用プラットフォームはあるのです。

世界は国内の議論とは別次元で展開しています。良い悪いという議論というより様々な困難を乗り越えてブレークスルーをするという意気込みです。私がこういうことを書くと「日本は日本のやり方がある」と意見される人も多いでしょう。しかし、自動車産業全体を見ればそこで生活している人がどれだけいるのか、という別の視点の雇用問題も生じてくるのです。

幸いにして日本には基礎技術もあるし、まだまだ来るべき自動車産業戦国時代に勝ち抜ける戦略もパワーもあります。ここはなぜ、EVなのか、見方を変える勇気も必要なのではないでしょうか?

では今日はこのぐらいで。

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