小山田圭吾の開会式楽曲、テレビ局の“放送問題”浮上…いじめ体験者の凄惨な記憶を呼び起こす

ビジネスジャーナル

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コーネリアス公式サイトより

 東京オリンピック(五輪)開会式の楽曲担当、小山田圭吾氏(コーネリアス)が「ロッキング・オン・ジャパン」(1994年1月号、ロッキング・オン・ジャパン)と「クイック・ジャパン」(95年vol. 3、太田出版)に掲載されたインタビュー記事で、過去に同級生の障害者に“いじめ”を行っていたことを自慢するかのように告白していたことが問題となっている。

 東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の武藤敏郎事務総長は16日、記者会見で「(小山田氏は)十分謝罪し、反省している。倫理観をもって仕事をしていく、と話している。このタイミングでもあるので、引き続き大会を支えていって、貢献してもらいたい」として、続投が当然であると述べている。大会ビジョンである「一人ひとりが互いを認め合い(多様性と調和)」や、オリンピック憲章に照らし合わせてふさわしい人材なのかどうかについては一切触れることなく、何事もなかったかのように予定通り進めるようだ。

【オリンピック憲章(一部抜粋)】

・オリンピズムが求めるのは、文化や教育とスポーツを一体にし、努力のうちに見出されるよろこび、よい手本となる教育的価値、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重などをもとにした生き方の創造である。

・オリンピック・ムーブメントの目的は、いかなる差別をも伴うことなく、友情、連帯、フェアプレーの精神をもって相互に理解しあうオリンピック精神に基づいて行なわれるスポーツを通して青少年を教育することにより、平和でよりよい世界をつくることに貢献することにある。

 組織委は五輪が終われば解散するので、すべてが過去のこととなり、誰かがなんらかの責任を取ることもないので構わないのだろう。しかし、テレビなどのマスコミにとっては、そんな簡単な問題ではない。開会式の様子を当日に限らず五輪期間終了後も何度も放送するテレビ局は、どんなスタンスで放送するのだろう。開会式の際には作曲者の紹介をするだろうが、過去のいじめ問題は一切触れず「若者にも絶大な人気があり、日本を代表する作曲家です」というように褒めることしかできないはずだ。過去のことなどまったく関係なく「素晴らしい開会式だ。世界に誇れる閉会式だ」といった美辞麗句を連呼する放送となるだろう。

 しかし、このままでは、放送するたびに「過去に凄惨ないじめをし、自慢げに語った作曲者の音楽が流れる」のだ。過去のことだとして受け流す視聴者も多いかもしれないが、たとえ音楽が流れなくとも、開会式の映像を見るだけで「いじめの体験を思い出す視聴者」も相当数いるのではないだろうか。

 筆者は、いじめ問題について詳しくないが、子どもの頃、友達の間でいじめがあった時、いじめた側が「さっきはご免な」と言うと、いじめられた子が「ご免で済むなら警察はいらない」と怒ることがあった。半分冗談のようで、半分本気なのだ。いじめられた側にすれば「謝って済む問題ではない。刑務所に入って罪を償え」と言いたいのだ。それだけ、いじめられた側にとってはショックだということだ。

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